天の川の向こう岸

 今日は平日の水曜日だが、ちょっと特別な日だったりする。
「あら、結構笹を飾ってる家がこの辺では多いわね」
「そうだな。洋館ではあんまり見ないけど、毎年日本家屋が建ち並ぶこの辺の家では笹を飾ってる家は多いぞ」
 今日は7月7日、七夕である。特に何があるって訳ではないが、俺は毎年この日を楽しみにしていたりした。
「なんだか楽しそうね」
「そうか?でもそうかもな、今日は料理も少し豪華にしようかなって思ってるんだ」
「いいわね。誰かが来るの?」
「ああ、毎年みんなで集まってご飯を食べてる。みんなって言っても藤ねぇと桜だけだけど」
 ただ今年は違う。
「今年は二人も増えるからさ。より盛大になるかな」
「誰?二人って」
「遠坂とセイバーに決まってるだろ。それとも遠坂は来ない?」
「えっ?わたしも行っていいの?」
「当たり前だろ」
 むしろ遠坂がいなかったら俺が寂しい。というか、今日を楽しみにしてきた意味がなくなる。
「でもいいのかしら、わたしはキリスト教徒だけれど……」
「日本に住んでいる限りそんなことを気にする人はあまりいないと思うぞ。遠坂が気にするって言うなら無理して来なくていいけど」
「わたしはそこまで敬虔なキリスト教徒ってわけではないし、士郎がそう言うなら参加させてもらうわ」
「遠坂とセイバーの分は初めから数に入れていたから逆に来てくれないと俺が困ったんだけどな」
「あらそう、勿体なかったわね。なら、綾子でも呼んで士郎を困らせようかしら」
 美綴か、むしろ困るどころか嬉しいかもな。美綴は遠坂と仲がいいわけだし、そういえば家にはあまり来てもらったことがなかった気がするしな。
「いいぞ。一人分なら余裕があるはずだ。新学期になって美綴には色々迷惑をかけたし、そのお礼も兼ねて招待するには丁度いい機会だと思うしさ」
「む。確かにそうね。綾子には貸しを作ったままだった……」
 実は、俺と遠坂が付き合っていることが全校生徒にバレて、弓道部という逃げ場を提供してくれたのは美綴だし、クラスでの態度も一切変えずにいてくれたことでクラス内で疎外されることにもならなかったのは美綴のおかげなわけで、その他にも俺たちは美綴に色々と助けてもらったりしていた。
「じゃあ、美綴に連絡を入れておいてくれるか?」
「いいわよ。じゃあ準備を手伝うから、早く帰りましょ」
「いや、準備は大丈夫だぞ。俺と桜がやるから」
 俺がそう言うと遠坂が思い切り振り返り睨み付けてきた。
「まさかわたしがアンタと桜を二人きりにするわけないでしょ」
 赤い悪魔はいつ見ても恐ろしいと思う。

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「お邪魔するぞ、衛宮」
「いらっしゃい。料理の準備はできてるぞ」
 日も暮れかけたという頃合いに美綴が我が家にやってきた。
「おや、もしかしてみんなを待たせてる?」
「まぁそうだな…藤ねぇがちょっとまずい」
 普段なら夕食にはまだ早い時間だが、今日の食卓は豪勢なわけで、藤ねぇやセイバーはお預けを食らって、これ以上待たせると突然発狂しだしかねない状況だったりした。
「悪いね。なにしろ急な誘いだったから準備が遅れてさ」
「こちらこそ急な招待だったのに来てもらえて嬉しい。今日は楽しんで行ってくれ」
「はいよ。んじゃ遠慮なく」
 美綴を居間へと連れて行った。
「美綴さんいらっしゃい。よーし、これでみんな出揃ったわね」
 俺が襖を開けるなり藤ねぇの声が轟く。
「綾子、いらっしゃい。綾子の席はここよ」
「いらっしゃいませ美綴先輩。今日は楽しんでいってくださいね」
「アヤコ、シロウとサクラと凛の料理は絶品ですから、是非とも味わっていただきたい」
 各々が美綴に挨拶を交わす。セイバーの挨拶は料理に目がいっていることが明白ではあるけど……。
「驚いた。衛宮、冷静に見るとお前はどんなハーレムな環境にいるんだ?」
「頼む美綴、遠坂の前でそういう発言はやめてくれ」
 俺は美綴だけに聞こえるようにそう言った。我が家の対人関係は意外とデリケートなのだ。
「あら、聞こえているわよ衛宮くん」
 うぐっ、笑顔で見つめてくる遠坂。恐ろしいなんてものじゃない。
「ほら、揉めてないで早く食べるわよ」
 空気を読まず食い気を優先する藤ねぇ。正直、助かった。
「そうだな。みんな揃ったし、はじめるか。じゃあグラスを拝借」
 みんながお茶(若干一名はビール)の入ったグラスを手に持った。
「「「「「「かんぱ~い!!」」」」」」
 こうしてささやかな七夕パーティーがはじまった。

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「どれもおいしいです。目移りしてしまう」
 食卓には和洋中、豪華な料理が所狭しと並んでいる。俺が和食を担当し、桜が洋食、そして遠坂が中華と、一人一人冷蔵庫にある食材を駆使して思い思いに得意な料理を作っていった。そんなわけで厨房は戦場と化していたが、出来上がってみると色とりどりで美しい食卓となっていた。
「なぁ、衛宮。豪華な料理は本当に凄いと思うんだが、どうして素麺なんだ?」
 黒酢の庵がかかった肉団子、デミグラスソースのかかったハンバーグ、竹の子の炊き込みご飯、エビのチリソース、ロールキャベツ、豚の角煮と蒼々たるメニューが顔を揃える中、一際目立つ存在として『素麺』がテーブルのど真ん中に鎮座している。
「ああ、素麺は七夕と縁のある食べ物らしいんだ」
「へぇ、そうなのか。あたしは聞いたことないけど」
「実は俺も知らなかったんだけど、桜に教えてもらってさ」
 俺がそう美綴に話すと、桜がえっへんと胸を張って説明をしてくれた。
「なんでも、天の衣の巧みな織り手だった織姫が、その糸に見立てて素麺を食べて、織物の腕が上がるようにと願ったのだそうですよ。わたしも最近知ったんですけどね」
 きっと桜も雑誌かテレビの七夕特集でも見たのだろう。
「でもそうねぇ。七夕の食べ物ってイメージが湧きづらいわね」
 黙々と箸を進めながら藤ねぇが呟いた。
「そうですね。しかし、だからこそこうして思い思いの料理を作って楽しむということで良いのではないでしょうか」
 優等生口調の遠坂の発言。セイバーと藤ねぇは深々と頷いている。
「そうだな。天の川を挟んで離ればなれになった織姫と彦星が、年に一度逢うことが許される一日なんだ。そんな目出度い日に俺たちは便乗して楽しむことが一番なのかも知れないな」
「つまり、楽しんだ者勝ちってことですね、先輩」
「ああ、だよな遠坂」
「そういうコト。せっかくおいしい料理を作ったのだから、思う存分楽しみましょ」
 そんな風に遠坂と桜の姉妹は口実を作って、ダイエット期間中の食事制限を無視するのであった。
 
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 夕食が終わり、みんなで短冊に願い事を書こうということになった。今更という感じもするが、これをしなければ七夕ではないだろう。
「よし」
  とりあえず、自分の分を書き上げた。
『世界が平和になりますように』
  工夫がないとかつまらないとか言われようが、俺にとっては恒久世界平和が一番の願いなのである。
「できたー。どうよ、士郎」
  藤ねぇが勢いよく短冊をテーブルの中央に置いた。
『弓道部全国制覇。そして世界へ』
  いかにも藤ねぇらしい。しかし、弓道で世界大会ってあるのだろうか。アーチェリーになってしまう気がするが……。
「あとこれも」
  続け様に藤ねぇが短冊を出してきた。
『生徒みんなに英語の教師だと認識されたい!』
  いや確かに切実な願いだが、これを七夕に願うのはどうかと思う。
「できました。これでどうでしょう」
「セイバー、見ていいか」
「はい」
  西洋人とは思えない達筆な字で書かれた短冊を読んでみる。
『シロウの料理を沢山食べたい』
「えっと、それはわざわざ願わなくても……」
「いえ、私にとっては最も大切なことなのです」
  俺としては、最近俺の作る料理への評価基準が大幅に上がっているセイバーの舌が怖い。つい昼食で手を抜いてしまった時のセイバーは、夕食まで機嫌が悪くて、その日の剣の鍛練では完全武装化したセイバーに滅多打ちにされた。
「美綴はどんなこと書いたんだ?」
「あたし?あたしはこれ」
  差し出された短冊を見る。
『彼氏が欲しい』
「綾子、まだ諦めてなかったの?」
「高校生活最後の一年だからこそ諦めるわけにはいかないだろ」
  美綴ほどの美人であれば引く手あまただろうが、美綴に見合うような男は確かに少ないような気がする。
「四月を思い出すわね」
「あれは忘れてくれ。あたしの完敗だった」
  四月の事件は美綴の人生の汚点として残っているようだ。美綴らしくない微笑ましい出来事だったが、真実を知る人は少ない。
「綾子に柳洞くんでも紹介してあげたら?」
「一成か。もしかしたら美綴と気が合うかも知れないな」
「あのね。そんな簡単に彼氏ができたらあたしゃこんなに苦労してないわよ」
  美綴はそんなことを言っているが、この夏が過ぎたら一成と付き合ってるなんてことがあるかも知れない。一成にそれとなくほのめかしてみよう。
「あたしのことより、遠坂は何を書いたんだ」
「へ?わたしは、これ」
  少し動揺した声で遠坂が短冊をテーブルの中心に置いた。
『宝石が買えるお金が欲しい』
  なんとも遠坂らしい願いだ。
「遠坂も変わった趣味をしてるよな」
 美綴が呆れた表情でそう言った。
「いいじゃない。趣味なんて人の勝手でしょ」
  事情を知る俺たちは何とも言えないが、宝石を大量に買った月だけ食費を滞納するのはやめてほしい。ちゃんと翌月に2ヶ月分振込まれているのは律儀だと思うが……。
「桜は何を書いたんだ?」
「ひゃっ、わたしですか?」
「気になるわね、どれどれ……」
  遠坂が桜の短冊を無理矢理奪い取る。
「姉さん、止めてください!ダメです。返してください!」
「えっと……
『先輩と姉さんは直ちに別れてほしい』
なにこれ?」
  桜の顔が真っ青になっている。
「わかってるわね。桜」
「……はい。姉さん」
  俺としては複雑な気分である。
「とりあえず全員分飾るぞ」
  どうやら桜は書き直したらしいが、全員が思い思いの場所に短冊を飾る。それだけでただの笹がいかにも七夕っぽく彩られた。
「よし、完成だな」
  今年は聖杯戦争があり、遠坂という最愛の人とも出逢った。そして今こうして、大切な家族と友人に囲まれてささやかに七夕を楽しんでいる。そんな平穏な日常が、何より幸せに感じる。俺は感慨深く色とりどりの短冊で飾られた笹を眺めていた。
「ほら士郎、何ぼさっとしてるのよ」
  気がつくと居間には、俺と遠坂だけが残っていた。
「みんなはどこに行ったんだ?」
「今日は女性陣みんな同じ部屋で寝るんだって。準備しに行ったわ」
  気付けば夜も大分更けている。随分長い間短冊を書いていたようだ。
「士郎、これも飾っておいて」
  遠坂からそっと桃色の短冊を渡された。
「わたしもみんなのところに行くわ。おやすみ、士郎」
  そう言って、遠坂は居間を出ていった。
  誰も居なくなった部屋で、俺は遠坂に渡された短冊を読んだ。
 
『士郎とずっと一緒に、幸せでいられますように』
 
  最後に遠坂から預かった短冊を飾って、俺も居間から出たのだった。

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